2008 オックスフォード小林多喜二記念シンポジウム開催報告(その5)

13:30から午後の部は、第4分科会と第5分科会が並行して行われ、第5分科会は第2会場のGibbs Roomで行われた。

第4分科会「モダニズムとリアリズム、大衆文学」は、Heather Bowen-StruykをディスカッサントにAnnika A.Culver(米国、North Carolina大学助教授)、内藤千珠子(日本、大妻女子大教員)、鳥木圭太(日本、立命館大学院博士課程院生)、王成(中国、首都師範大学教授)の4名が発表した。

発表概要は、以下の通り。

Annika A.Culver氏Annika A.Culver氏

Annika A.Culver=「Koga Harue’s Constellation of Modernity: A Japanese Surrealist」は、多喜二と同じ年に38歳で亡くなった古賀春江(本名亀雄1895-1933)の超現実主義と戦争へのまなざしを論じた発表。戦前の日本では、超現実主義者を含む多くのインテリがマルクス主義に引きつけられたが、古賀は彼らとは別な道を歩み、キュビズム、シュールレアリスムに学び、独自の超現実主義にいたった。その日本初のシュールレアリスム絵画と言われる代表作「海」(1929)の焦点を当てて、その芸術的挑戦の意義を説く。「海」は、水着のモダンな女性とともに海を自由に泳ぎ回る魚と最新鋭潜水艦をコラージュで描いたもので、その無菌空虚な表現は衝撃をもって受け止められた。古河のハイブリッド日本の現代性のバージョンが、日本人のアバンギャルド作家たちが、自身の国の近代化と洋風化の矛盾をどうみたかを示していると論じた。

内藤千珠子=「『痴人の愛』における帝国のジェンダー表象と階級」は、ジェンダー研究の視座から、小説テクストにあらわれた資本主義と帝国主義の諸相について論じた発表。谷崎潤一郎『痴人の愛』を中心にしつつ、モダニズムとプロレタリア運動とが異なる角度から織りなした時代相を検討、多喜二と同時代的な言説のダイナミズムを、とりわけその掲載誌に注目しつつ、『痴人の愛』という場を出発点として素描したことにを論じた。同作のジェンダー表象において、帝国主義、オリエンタリズムの構造は、いかなる軌跡を描くのか、プロレタリア運動によって顕在化された階級の問題を、「混血の表象――同時代言説と小説テクストの構造」「ナオミの皮膚」「不潔な香りとジェンダー」の各項目で、葉山嘉樹「淫売婦」にも言及しながら考察した。

鳥木圭太氏鳥木圭太氏

鳥木圭太=「リアリズムと身体――「党生活者」を起点として」は、ナップの中で提唱されてきたリアリズム理論が、「党生活者」の中にどのように反映され、また作者身体をどのように規定してきたのかを考察する発表。同作品を淀野隆三の小説「一年の記録」(『詩・現実』1930.12.20、1931.3.28)、貴司山治「子」(『改造』1933.8)などをとりあげて相対化し、多喜二という一個の身体を「党生活者」の表象から取りだし、ナップのリアリズム理論がどのようにして相対化されうるのかを明らかにした。「党生活者」の持つリアリティが、「党」と一体化した作家身体とそれを要求するリアリズムに根ざしているのに対し、「一年の記録」や「子」が持つリアリティはナップのリアリズムが切り捨ててきた現実を描き、それによりそのリアリズム自体を相対化する作品として成立していることを論じた。

王成氏王成氏

王 成=「プロレタリア文学の活力――小林多喜二から松本清張へ」は、松本清張が『昭和史発掘』の一篇として「小林多喜二の死」を書いたこと、文学の夢を持った若き清張が1929年3月下旬、「四・一六革命家弾圧事件」のまえに、『戦旗』を読んで警察に逮捕され、拷問を受けたことに着目し、その経験は後に作家になった清張にどのような影響をもたらしたかを考察する発表。清張の小林多喜二への思い、「昭和史の進行途上に小林多喜二という特異な作家を浮かばせて当時の雰囲気を描こうとする」思いを、清張と多喜二との比較を通して、プロレタリア文学の活力を考察した。

並行開催された第5分科会「群衆と闘争」では、島村輝(日本、女子美術大学教授 発表者、ディスカッサント)を司会に、Cody Poulto(米国、ビクトリア大学)、Orna Shaughnessy(米国、カリフォルニア大学院生)、高 榮蘭(韓国東京大学特任研究員)の計4名の発表が行われた。

Cody Poulton氏Cody Poulton氏

Cody Poulton=「After the Quake A Dramatic Representation of the Korean Massacre by Leftist Playwright Akita Ujaku」は、秋田雨雀が関東大震災後、現地を訪れ韓国人や社会主義者の虐殺事件などを知り、目の当たりにしたその悲惨な現状を描いた「骸骨の舞跳」、詩、日記を取り上げ、その「劇的な表現」を考察する発表。雨雀は、戯曲の末尾で現実に回帰するものの、彼が追求する「主観的真実」の表現としてはリアリズムが不適切なものとしたこと。彼のいくつかの最も急進的な芸術的な装置の採用の意味を論じるにも、危険な政治的な話題と格闘することにおける雨雀の勇気だけが重要であるのではなく、その時、彼がどのような表現方法を用いようとしたかが重要だと論じた。

高 榮蘭=「共闘の場における「女」の表象」は、60万人参加で戦後最大の規模となった第21回メーデー(1950年5月1日)のポスター(衰弱しきった子供を抱いている「母」が描かれ、その「母」を、「戦争反対」「植民地化反対」「民族独立」「全面講和」などの言葉が囲んでいる)を素材に、この文字言語と図像が交錯しながら同じ紙面の上に作り上げられた「母」の表象を手がかりに、この時期の「共闘」の場におけるジェンダー編成について考察した発表。エレイン金『危険な女性―ジェンダーと韓国の民族主義』(1997、サムイン)序などを援用して、石母田正「母についての手紙―魯迅と許南麒によせて―」、許南麒『火縄銃のうた』の「母」の表象を共闘の場において多面的に分析するとともに、当時中産階級の女性の保護のため内務省によって買春が許可された「赤線」地帯の「パンパン」の身体が、「闇」空間をめぐる比喩と連動しながら、「民族」が編成される「公」の空間に侵食し、上記の共闘の場における「階級」言説や無性的(asexual)「母」表象と交錯していたことを考察した。

Orna Shaughnessy=「Strike! Representations of the Crowd and Violence in works of Kobayashi Takiji and other contemporary cultural productions」は、多喜二が蔵原惟人へ宛てた「蟹工船」の執筆意図を明かした書簡で、キャラクターの心理描写を陳腐として退け、一人の主人公よりむしろ集団に焦点を合わせる試みをしたことを告白していること。現実の事件の暴力と不正をピーアールして、記念する明確な意図をもって執筆していること。多喜二は自らの作品を触媒にして組織する方法として「集団」の特殊化を多角的分析して描いたことを考察した発表。黒島伝治「海の第十一工場」、横光利一「上海」、今和次郎の「考現学とは何か」などのエッセーなどから1920年後半から1930年前半の左翼作家が、現実と具体的な戦いのために集団を奮い立たせる力を持っている文学――集団を描く、ストライキを描くことにどう挑んだかを、ストライキのなかでの「集団」と「暴力」の表現を通じて考察した。本人欠席のため代読。

島村輝氏島村輝氏

島村 輝=「暴力・犠牲・連帯――今に生きる小林多喜二」は、多喜二が人間の暴力的な部分をどう描いてきたかを焦点に、本格的デビュー以前の「初期作品」からすでにそうした関心が表明され、以後の作品の底流として流れる大きなテーマであることを明らかにした。特に非合法下の共産党員活動家の生活を題材とした「党生活者」では、権力の発動する暴力と「犠牲」との関係は重大なテーマとなっており、作品の結末近くで、主人公・佐々木を含む活動家グループが、決定的な場面でのビラ撒きに出たとき、彼らが予想しなかった労働者たちの「連帯」による掩護が起こり、結果的には事前に覚悟していたような「犠牲」を払わずに済む結果となったこと。それは冷静な須山までが「こうまでとは思わなかった! 大衆の支持って、恐ろしいもんだ!」と叫ぶほどのものであること。ここでも「大衆の支持」による「連帯」によって、暴力を未発におわらせ、「犠牲」を出さぬ可能性が見出されていることを評価しながら、活動家たちを矛盾を含む存在として描くことで、多喜二は最後まで「暴力」や「犠牲」、「連帯」のイメージを多角的に考え続け、ベンヤミンのいう「神話的暴力」としての権力の暴力、運動内部の暴力の発動による「犠牲」の発生を未発にとどめるための、可能性としての「ちから」(「神的暴力」)の発動としての「連帯」の可能性を見出し、「可視」化し始めていたのではないだろうか。そしてそれは実は「蟹工船」の末尾にすでに示唆されていたものであり、「生きづらさ」に悩む世代に一筋の希望を見出させている源であるなどとと論じた。

15:30からは、この日の最後の分科会となった第6分科会「植民地時代のKorea」が朴真秀(韓国、キョンウオン大学教授)を司会(発表者・ディスカッサント)に行われ、Youngeun Jang(韓国、成均館大学院生)、Seoul Samuel Perry(米国、ブラウン大学)、李修京(韓国、東京学芸大学教授)、の計4名が発表した。

発表概要は、以下の通り。

李修京氏李修京氏

李 修京=「Kim Dooyong and Kobayashi Takiji」は、日本作家同盟で活動した多喜二と金斗鎔(キム・ドゥヨン、1904?~? 男)との関係をたどる発表。金斗鎔は、韓国に生まれ、1926年に東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学している。在学中金斗鎔は1926年に新人会の会員となり、左傾化していく。2年先輩に中野重治と石堂清倫がおり、この時から中野らのプロレタリア文学者との交流を深めていくことになった。多喜二が1930年に上京すると、金斗鎔は作家同盟事務所で多喜二と顔をあわせる関係となり、交友した。金斗鎔は『プロレタリア文学』(1933年5月号)の多喜二追悼特集に「同志よ安かに眠れ!」を寄せてその死を悼んだ。戦後は朝鮮労働組合の執行委員として活動し、政治犯の解放に取り組んだことなど、金斗鎔に関する総合的な研究は少ないなかで、その後の金斗溶の生涯のあゆみをたどり、金斗鎔と小林多喜二の2人の青年が、プロレタリアートの人々の解放のために彼らの人生を費やしことの意味を論じた。

Youngeun Jang氏Youngeun Jang氏

Youngeun Jang=「Socialist Mobility and Landscape- Representations of Russia in Lover of the East」は、沈薫=Sim Hunの「東洋の恋人」の主人公、Dong-Ryulと主なキャラクターの振舞いにあらわれたロシアの社会主義者の機動性と革命ロシアの眺望についての発表。小説「東洋の恋人」は1930年10月から12月まで「朝鮮日報」に連載されたもので、1920年代の「革命の国」ロシアを描いたので、検閲官によって連載は中断された。主人公Dong-Ryulと彼の代表団が1930年代にソビエトに立ち向かったなら、それらはコミンテルン会議で実際的な知識を得なかっただろう。なぜなら1930年代には事実として、社会主義者の機動性はもうソビエトロシアに存在しなかったからだ、などと論じた。

Seoul Samuel Perry氏Seoul Samuel Perry氏

Seoul Samuel Perry=「“Social Relations of the Classroom: Writing Revolutionary Children in Japan and Colonial Korea”」は、日本と植民地朝鮮の革命的児童文芸運動のなかで、児童に関して1929年に書かれた村山籌子「健康な女の子」と、韓国人の女性作家・Kang Kyŏng-ae「毎月の授業料」を取り上げ、また、『女人芸術』の児童の絵画がプロレタリア文化運動の中で機能した役割や方法などを論じた。また全く異なった歴史的背景を持つ村山籌子とKang Kyŏng-aeの間に現れた、日本と植民地朝鮮の間の違いと類似性などについて論じ、プロレタリア児童文学研究の課題と可能性などを示した。

朴真秀氏朴真秀氏

朴 真秀=「韓国プロレタリア文学の国際主義と「民族」概念」は、日本の植民地統治時代(1910~45)のプロレタリア文学が、当時の韓国文壇における最大勢力であり、以後の韓国文学に多大な影響を与えたものの、今日韓国では、ほとんど読まれてもいないし研究されてもいないが、20世紀の韓国文学を通して最も重要な流れを作った流派として評価できることに着目。そのコンセプトとして、「民族」概念を論じる発表。社会主義の理念そのものは、民族的特殊性よりも世界史的普遍性に重点を置き、プロレタリア国際主義を指向するものであるが、韓国プロレタリア文学は、日本帝国主義の資本主義的支配からの民族解放と階級革命は同時に果たすべき課題として考えら、「国際主義」と「民族」というテーゼが同時に追求された。その役割と可能性を作品に盛り込んでいる宋影(ソンヨン、1903~76)「交代時間」(1930)などを素材として考察した。

各分科会の質疑が活発で、プログラムの進行が遅延したため、この後に予定されていた映画「時代を撃て・多喜二」の上映は取りやめとなった。

[2008/10/9]

白樺文学館 - 小林多喜二の書簡 常時展示中

時代を撃て・多喜二