2008 オックスフォード小林多喜二記念シンポジウム開催報告(その5)

シンポジウム2日目の9月17日は、午前9:00より、第2分科会「身体と権力」でスタートし、以下の20件の発表が行われた。

Heather Bowen-Struyk(アメリカ合衆国、ロヨラ大学)を司会に(発表者・ディスカッサント兼任)、そのほかの発表者は荻野富士夫(日本、小樽商科大学教授)、山﨑眞紀子(日本、札幌大学)、Curtis Anderson Gayle(日本、日本女子大専任講師)の3名、計4名の発表が行われた(Curtis Anderson Gayleは欠席により代読)。

発表概要は、以下の通り。

荻野富士夫氏荻野富士夫氏

荻野富士夫=「小林多喜二と治安体制」は、1932年春のプロレタリア文化陣営への「暴圧」を「戦争とファッシズムを強行しつゝある軍事的=警察的反動支配」と多喜二が把握したことを評価し、「ありとあらゆる強制と暴力」、すなわち特高警察・思想検察・軍や憲兵という重層的な治安機構・機能の実態と役割を、多喜二がどのようにしてこの「軍事的=警察的反動支配」という認識に到達しえたのかを、多喜二の拷問・投獄体験、作品への描写を克明にたどり、その意義を明らかにするなどした。

山﨑眞紀子氏山﨑眞紀子氏

山﨑眞紀子=「拷問における身体の収奪―小林多喜二『一九二八・三・一五』と村上春樹『貧乏な叔母さんの話』―」は、『一九二八・三・一五』で描かれた「半植民地的」行為と、そこに描かれている、人が人の意志を奪うことの意味を問う発表。ノモンハン事件を題材にとり、人間の皮を生きたまま剥いでいく拷問場面を描いている村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と比較分析し、“自分の体は自分のものである”ことが奪われた存在を作品化する意味を考察。また、「一九二八・三・一五」で、革命運動を行う意志的な男性の傍らで、〈生活〉を担い続けながら、拷問を受けたわけではないのに心に傷を負うお恵や幸子の描出にも目を向け、“自分の体は自分のものである”ことを奪われている女性たちの姿をたどった。

Curtis A Gayle「Kobayashi Takiji and Representing the Body against Empire」は、小林多喜二の描いた文学は、彼の生きた時代――戦前の日本の物語である――という設定を超えて現代に強いメッセージを伝えていることを、現在日本で巻き起こっている「蟹工船」ブームをとりあげて論じた。「蟹工船」の物語は、正しく資本主義の下における痛みの物語であり、私たちの人生の苦しみがやがてわたしたちを無感覚にしついに戦争にいたること、ボディーの痛みを低賃金で勤労する人々とともにイメージする助けにできることなどを明らかにし、その倫理的意義などに言及した。

Heather Bowen-Struyk氏Heather Bowen-Struyk氏

Heather Bowen-Struyk=「The Body in Pain」は、身体の痛みの歴史としてプロレタリア文学運動の歴史をとらえることを提案。プロレタリア文学と多喜二の文学が、資本主義の精神的な抑圧のサインとして暴力を把握していたことを評価した。2月20日に虐殺された多喜二の遺体のまわりに集まって嘆く人たちは、そこに参加することは逮捕だけではなく、拷問される危険にあることを自覚していた。それだけに、多喜二の遺体を囲み嘆く人のイメージは聖像になったこと。これと対照的なものとして、アメリカの一般市民に大きなショックを与えたアブグレイブでの拷問写真をとりあげ、米国メディアにおける拷問に対する態度は道徳的なあいまいさ示すものにすぎなかったことを浮き彫りにした。多喜二に与えられた拷問の痛みは、犠牲の痛ましさを思い出させるばかりではなく、戦意阻喪を誘うものでもあるが、プロレタリア文学が拷問に関する明確な道徳的メッセージを明らしたことは、拷問を許す人を道徳的な怪物として告発する進歩的な力であることを明らかにした。

11:00から第3分科会「地域と植民地主義」が、小森陽一(発表者・ディスカッサント)を司会に、河西英通(広島大学大学院文学研究科教授)、高橋秀晴(秋田県立大学教授)、尾西康充(三重大学人文学部教授)の計4名の発表が行われた。

発表概要は以下の通り。

河西英通氏河西英通氏

河西英通=「小林多喜二における異境感とリージョナリズム」は、 都市化と近代化の悲劇は、中央と地方だけではなく、地方の間にもあった差別を、多喜二「健」「蟹工船」「転形期の人々」の方言使用をたどり、多喜二における「革命的リージョナリズム」をさぐる発表。幼時の多喜二が、秋田から函館を経て、小樽へ移り住むことで出会った「異境」をたどり、さらに「南国」に対する「北国」の反発、あるいは「東京」に対するコンプレックスを指摘して多喜二を自立的「周辺」主義者ととらえることを提起。とくに、多喜二の豊かなアイデンティティのなかにナショナルな革命を「周辺」である植民地・地域から射程におさめ、「周辺」の自立性と連帯を求めることで広くインターナショナルな運動を構想する視点――革命的リージョナリズムとして位置づけることの可能性考察した。

尾西康充氏尾西康充氏

尾西康充=「小林多喜二と植民地」は、多喜二「不在地主」を素材に、北海道に入地百姓として土地を求めて入植した小作人たちが「誰も何時かキット内地に帰る、そのことばかり考えている―追われるようにして出てきた村を、今では不思議な魅力をもって思いかえした」とあることを指摘し、これと同じ動きが1936年に「20ヶ年百万戸送出計画」が発表されて中国東北部(満州)への移民事業の際に用いられた「愛郷心及び共同精神」のイデオロギー操作にあったことなどをとりあげる発表。多喜二は「不在地主」のなかで、帝国日本は彼らを巧みに教化し、「愛郷心及び共同精神」を持たせようとしていたのに対して、農民組合は彼らに「階級的な自覚」を持たせて小作争議を頻発させるというヘゲモニーの闘いを展開したことにも言及し、多喜二が帝国日本に抵抗して闘いに参加していく主人公健の姿を浮き彫りにしたことの意義などを論じた。

高橋秀晴氏高橋秀晴氏

高橋秀晴=「潜在する原体験――多喜二にとっての生地秋田――」は、「蟹工船」の一節を共通語と、秋田方言で朗読し、方言使用が被支配の民衆の生活の言葉を取り入れた言語表象であることの意義を論じた。また、豊多摩刑務所から保釈出獄後の三一年七月末に小樽から母を杉並に呼び寄せて同居した直後に書かれた「十二月の二十何日の話」という作品は母との再会がその執筆を促したとし、「法に背いてもすべきことがある」と非合法活動に入っていく判断をした背景に生地秋田の伝承があったと指摘。「僕は農村といっても「北海道」という特殊の地方より知らない」という多喜二の無自覚的意識に、実は両親を媒介にした秋田の農村を知っていたことを指摘し、秋田に由来する劣等感や屈辱感、そして貧しさの記憶やイメージは、多喜二の人と思想と文学に重大な影響を及ぼしたことを明らかにした。

小森陽一氏小森陽一氏

小森陽一=「植民地空間としての「蟹工船」――差延(ディフェランス)の集団」は、小林多喜二が蔵原惟人に「蟹工船」の意図を述べた手紙の冒頭に述べている、「この作は…労働の「集団」が、主人公となっている。」に着目、「労働の「集団」」は、「未組織的な労働者」とは、同じ概念ではなく、まったく異質な認識枠であることを切り口として、「グループ」としての「集団」は、一定の規則性の中で持続的な相互関係を持つ、個体の集合のことである。それは単なる個体の集合ではなく、複数の個人の間の関係性が、一定の相互依存性を持ち、ときにはその相互依存性が、同一性を欲望する一体感や、集団規範や共通目標などによって表象される場合もある集合体であること、それは複数であることを明らかにし、蔵原の「蟹工船」批判の論点を検証し、その論評の一定の否定的な役割を明らかにし、蔵原が欠点としたこの三つの点こそ、『蟹工船』というテクストの、最も重要な文学的達成であること。私たち読者は、この三つの軛(くびき)から、自らの意識と感性を解き放ち、21世紀の文学テクストとして『蟹工船』を再生しなければならないと論を進めた。特に、J・デリダの「差延作用」論を援用し、小林多喜二の『蟹工船』のテクストを構成する言葉は、集団と個人はもとより、あらゆる二項対立の支配を崩し、その支配による意味の割り振りに従わない、支配しようとする側の思惑どおりにならない運動性のただ中にあるのだと論じるなどした。

[2008/10/9]

白樺文学館 - 小林多喜二の書簡 常時展示中

時代を撃て・多喜二