第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文
80年代以後中国における
小林多喜二文学の研究現状の考察
王利艳(王利艶,おうりえん,Wang Liyan,女性)
はじめに
小林多喜二は日本のプロレタリア文学の代表的な作家として、日本の文学史に位置つけられている。日本においては、小林多喜二と彼の文学についての研究がずっと続けられているようである。私は同じ時代を共有する中国――、プロレタリア文学が一時に盛んになった中国における小林多喜二に関する研究が今どこまで発展するかという問題に関心を持って、資料を調べた。
集めた資料に対しての分析を通して、皆さんに研究現状を報告させていただくと同時に、自分なりの思考を述べさせていただきたい。しかし、資料サンプルが足りないため、少しの参考にとどまるかもしれない、それでも何かの役にたてば筆者は幸いだと思う。
1、考察の動機と目的
中国における小林多喜二文学についての研究は、中国の張如意先生が『生誕100年記念小林多喜二国際シンポジウムpartⅡ報告集』(白樺文学館多喜二ライブラリー編 東銀座出版社刊 2004年)において発表した「中国における小林多喜二文学の再認識」という論文は、微視的な視点から中国での小林多喜二の研究論文をちゃんとまとめている。小林多喜二を論じる論文の内容の変遷とその背景を十分に分析した。分析はくわしいだけでなく、専門的である。
私は力不足なので、考察の方法を変えてもっと大きな単位で分析したら、もしかすると、研究者に参考になるかもしれない、そうなればいいのではないかと思った。すこしでも役にたてば、満足である。もしも何の価値も見出せないとしても、自分にとっては、一種の成長だと思う。だから、この考察をやるのである。
この研究考察の目的は80年代以後中国で小林多喜二についての研究がどんな状況にあるかということを報告することにある。それから、その現状に繋がる原因を探索してみて、少なくともこれからの小林多喜二の研究に役立てたい。贅沢な希望であるが、中日のプロレタリア文学交流に役に立つことを望んでやまない。
二、考察の内容と対象
今度考察する内容は、中国で小林多喜二についての研究現状である。考察の主な対象は4つある。1つは国内に発行されている有名な学術研究雑誌『日本学刊』と『日本語学習と研究』;もう1つは学術論文が載せられている『中国学術期刊全文数据庫』であり、3つ目は小林多喜二国際シンポジュウムⅡ報告集、中国小林多喜二国際シンポジウム論文集において、中国の研究者が発表した論文である。4つ目は中国国家図書館に収録された資料である。この4つの対象だけではまだ不完全だといわざるを得ないが、中国において日本文学についての大体の研究が含められているといってもいいかもしれない。
2、考察と分析
表1、小林多喜二についての発表論文と本の数
| 年代 考察対象 |
1980-1990 |
1990-2000 |
2001-2006 |
| 日本学刊と日本語学習と研究 |
0篇 |
0篇 |
0篇 |
| 中国学術期刊全文データ網 |
2篇 |
1篇 |
1篇 |
| 多喜二国際シンポジュウムⅡ、中国多喜二シンポジュウム論文集 |
0篇 |
0篇 |
10篇 |
| 中国国家図書館の資料 |
0篇 |
0篇 |
一冊 |
表2、小林多喜二についての論文の内容
| 論文のテーマ |
発表先 |
年代 |
| 小林多喜二の文芸思想の探索 |
中国学術期刊全文データ網 |
1988年 |
| 小林多喜二の「党生活者」を論じる |
中国学術期刊全文データ網 |
1988年 |
| 小林多喜二の文学追求 |
中国学術期刊全文データ網 |
1990年 |
| 小林多喜二 |
中国国家図書館 |
2001年 |
| 30年代中国左翼作家の小林多喜二の再認識 |
中国学術期刊データ網 |
2004年 |
| 中国における小林多喜二文学の再認識 |
シンポジュウム |
2004年 |
| 多喜二における農民、農村と資本主義 |
シンポジュウム |
2004年 |
| 中国の大学生からみた小林多喜二 |
シンポジュウム |
2005年 |
| 「蟹工船」の表現特色――話し言葉を読む |
シンポジュウム |
2005年 |
| 日本プロレタリア文学作家 小林多喜二――「党生活者」を中心に |
シンポジュウム |
2005年 |
| 白色テロの下で活躍した「党生活者」たち――作中人物像を中心に |
シンポジュウム |
2005年 |
| 小林多喜二の殉難と日本文化 |
シンポジュウム |
2005年 |
| 異彩を放つ人間像――小林多喜二とゴーリキーにおける母親像 |
シンジュウム |
2005年 |
| 反戦小説としての「沼尻村」 |
シンポジュウム |
2005年 |
| 中国人の国際的友人としての小林多喜二 |
シンポジュウム |
2005年 |
表1から見れば、中国では80年代から小林多喜二国際シンポジュウムを行うまでに、わずか4篇の論文が残っているだけである。
この20年来、中国人は小林多喜二と彼の文学に対しての研究が少なくすぎたと認めなくてはならない。甚だしいことに、10年以上これを研究した論文がゼロに近い程度である。21世紀に入ってから、喜ばしいことは張朝柯先生の書いた著作『小林多喜二』がこの世に出てきた。
でも、大きな変化をもたらしたのは2005年である。すなわち、シンポジュウムが河北大学で行われた年である。シンポジュウムが中国で行われることを機に、中国の研究者が小林多喜二の研究ブームを迎えたのである。
表2の研究者の論文テーマから見れば、3つの発見点がある。
説明しやすいように、シンポジュウムが中国で行われたことを境にして、2つの時期に分けて分析させていただきたい。
1つ、第1期、小林多喜二についての研究がほとんど彼の中国作家との繋がりや、彼の小説に出てくる人物の分析などに過ぎない。これはよくないといえないけれども、これだけではまだ彼の文学に対して、そんなに深く理解できないに違いない。
でも第2期になってから、研究者が新しい視点から小林多喜二の文学を読み直し始める傾向が強くなってきた。その上、時代の意味を踏まえて、いまの文学分野で彼の文学の価値を改めてみつけようとしていることに特色がある。
もう1つ、教育の面から小林多喜二の文学がだんだん若者に知ってもらえない原因を思考している研究者もいれば、文化の視点や言葉の視点から多喜二の文学を研究している研究者もいることが明かになった。彼らはこれを通して、教育の改革への参考情報を提供してくださるし、日本のその時代の文化を教えてくださった。研究の多視点だけでなく、彼らは小林多喜二の文学と今の時代につながって、多喜二の文学からより深い意味を味わっている。
3つ、以上の論文をみれば、「党生活者」を中心に書かれたのが一番多いということは分かる。この現象から鮮やかな人物像を持っている「党生活者」という小説が非常に中国の研究者に愛されていることが推測できるだろう。
四、啓示と思考
この現象が生じる原因について、ここで自分の見解を述べたいが、不適当なところがあったら、ご指導をお願いしたい。
第1、中国人は80年代から、70年代にプロレタリアを強調しすぎた階級意識スローガンに飽きるようになった。せっかくこの階級を中心の社会から逃げ出したのだから、二度とこんな生活にもどりたがらない。だから、日本のプロレタリア文学はもちろん、中国のプロレタリア文学も読まれない羽目になったのである。また、そのとき、中国は日本と国交正常化になったといっても、交流もそんなに頻繁ではなかった。文学にかぎらず、様々な分野もそうであった。ところが、中日交流が盛んになるにつれて、経済とともに、文学の交流も多くなってきた。特に、近年来、中国の発展がいろいろな問題をもたらした。中国が階級社会ではないにもかかわらず、農民、農村などの問題がますますひどくなるばかりである。この現状は許せないのだ。こうなれば、小林多喜二の文学がこの時代に再認識の土壌となる。なぜかいうと、どの時代でも、農民のある状況が同じところがあるからだ。特にシンポジュウムが中国で行われたことをきっかけに、小林多喜二についての研究がブームになることは納得できると思う。
第2、この研究が多元化になったのは、今研究方法が多元化になったためである。今交差学科研究が研究分野で流行っているようである。同じ小林多喜二の文学が文学や教育などの視点から分析ができるようになった。これらも研究者にいい方法を提供するにちがいない。
第3、中国にいらっしゃる松沢信祐先生の提唱のもとで、中国の河北大学の外国語学院日本語学部の院長張如意先生をはじめ、中国の先生各位の協力で小林多喜二のシンポジュウムが開催された。このシンポジュウムが架け橋となって、中国の小林多喜二に興味を持っている方々を世界の小林多喜二の研究者たちとつなげると同時に、みんなが集まることができるようになった。このシンポジュウムはまだ小林多喜二と彼の文学を知らない若い研究者に小林多喜二の価値を理解させる。だから、シンポジュウムを機に、小林多喜二についての研究がどんどん増えてきた。これからも増えていくと信じている。
小林多喜二についての研究が増えているといっても、心配することがないといえない。まず、あげたいのは若者の小林多喜二に対する認識、張先生が書かれた「中国の大学生にからみた小林多喜二」によれば、中国の理科部の学生は多喜二を知っている数は調査を受けた人の60.2%を占めるのに対して、大学文系部の学生も65%しか占めてはいないらしい。多喜二の文学を読んだことがある大学生は14.7%だけ。皆多喜二を知っている、彼の文学を読むわけには行かないが、そんなわずかな人しか知っていないのは嘆くべき現状である。この現状を心配しなくてはならない。
次に、今研究者の数がすくないうえに、研究できる領域が広いので、研究すべきところがまだずいぶんある。もちろん、日本人の小林多喜二への研究が成熟してきている。でも、中国人の視点からの研究は、研究していない作品の例を挙げればあげきれないほど多い。
第3に、今小林多喜二を研究しているみんなはほとんど日本語が分かる方である。日本語が分からない方にとって、日本人の作品を研究することがたいへんであることはというまでもない。日本語が分かる方だけでは力不足だと思います。
なぜかというと、日本文学を研究しない方もいるし、ほかの作家を研究する方もいるし、数だけ見ると、不利である。もし、中国の文学に詳しい研究者が多喜二を研究なさったら、中国の多喜二研究センターに新しい力を注ぐことができると思いう。それにしても、皆に日本語を勉強させるわけにはいかない。だから、日本語ができる方はできるだけ、小林多喜二の文学を翻訳すべきである。特に日本人の小林多喜二に関する論文を翻訳すべきであると思われる。そうすれば、中国人の研究者がこの研究結果に基づいて、自分の研究を続けられると信じる。
まだ小林多喜二文学は時代に遅れると思われるかもしれない。でも、中国でこの文学が必要だといえよう。とういうのは、原因は中国の国情にあるからと考えられる。今中国は社会主義国家である。社会主義国家であるからこそ、もっと、国民の生活に関心を持たなければならない。農民も社会の主な構成部分なので、農民さえ豊かな生活を送れば、中国は豊かな国になれる。だから、農民の生活をありのまま反映する文学が必要である。
多喜二の文学は中国の農民生活を描いたものではないが、中国の文学に役立つと思う。すくなくとも、中国は同じような貧しい農民生活を作らないように参考にできる。
2つ目の理由は、この文学が世界の平和に貢献できることである。そう聞くと、皆に馬鹿なことをいうといわれる恐れがある。でも、私は恐れない。こういうのは自分なりの理由がある。皆さん、ちょっと考えてほしい。いま、日本と中国の間に一番深刻な問題は何であるか。皆きっとためらいなく答えられるだろう。第二世界大戦のことである。なるほど、そうに他ならない。
それでも、これは小林多喜二に関係があるかという疑問を持っている人がかなり多いと思う。もちろん、関係がある。皆さん、ご周知のように、多喜二の作品の中で「蟹工船」と「防雪林」および「党生活者」は、全部日本が第二次世界大戦をどのように準備したかを描いている。彼は普通の人の生活を通して、資本者や二次大戦の生産者への恨みや責めなどを訴えている。だから、多喜二の文学を読むと、中国人に日本の普通の国民は大戦の中に被害をうけたこと、彼らが戦いに反対したことがあるのを知ってもらえる。そうすれば、中国人が普通の日本人の平和を望む気持ちを理解できるし、現在ある平和を害する音がきっと消えることを信じたい。すなわち、中日両国の人民がお互い理解するうえに、中日関係を改善できる力があると思うのだ。
五、おわりに
以上は80年代以後、中国で小林多喜二についての研究現状を報告し、自分の啓示と考察を述べた。皆さんにとって、少しでも参考になれば、ありがたく思う。いずれにしても、小林多喜二の文学は中国で必要であるから、いまの研究がある程度の成果を遂げたにもかかわらず、これからも研究し続ける必要もあるといいたい。
六、参考文献
『小林多喜二国際シンポジウムpartⅡ報告集』(島村輝監修 2004年 東銀座出版社)
『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』(張如意監修 2005年 東銀座出版社)
中国国家図書館に収録されている資料
中国学術期刊網
>>応募論文一覧
[2007/3/9]
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